平野啓一郎著「私とは何か」

分人。

ひとはたいてい、家族、友人、あるいは職場で見せる顔は、
それぞれ多少は違うもの、であろうと思う。

自分は、それが、小さい頃から極端に違う人間だ。本当に極端に。

友達と一緒にいても、
居心地のいい相手もいれば、
一方で仲は良いけれど緊張が走る人、とか
いろいろあるもの。

そんな時はたいてい、「あの人といると自分を出せない」と表現するが、
では、「本当の自分」は何なのか?と考えると、

その、緊張して自分が出せないことも、自分らしさである。

どれかひとつが本当の自分なのではなく、
それぞれが自分を構成する「分人」である。

人の個性や性格は、ひとつではないし、常に変化するものと捉える。

八方美人、多重人格、たとかくネガティヴに捉えられているが、
それぞれの相手に合わせることこそ、
(それぞれの分人として応対することこそ)、
自然なことである。

そう捉えると、自分のような性格の人間は、とても楽になれる。

人間は、他者なしでは、新しい自分になれない。

個性とは、
その分人の構成比率の事であり、
常に新しい環境や対人関係において、個性は変化する

愛とは、
その人と一緒にいる時の自分(分人)が好き。
だから、この自分で居させてくれるあなたが好き。
返答性の自己愛が発端である。

自分を形成するのは複数の分人。
その分人は決して自分一人で形成されるものではなく、
他者がいてこそ。
分人の半分は他者のおかげである。

そういう意味では、
まったく矛盾する複数のコミュニティに参加することこそ、
今日的には重要である。

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