Afterコロナの移動論その2~不必要な移動の減少~

人に会う、モノを買う、仕事をする、キレイな景色を観る、、、人は何らかの目的のために、家から出て「移動」をするのが当たり前。

買い物や食事といった面では、通販やデリバリーもすでに一般化しているものの、人は日々移動をすることに何の疑問も持っていないし、むしろ「移動」は活動的に生きていることの象徴でもあった。

ところが、コロナ禍により不要不急の外出が制限され、人は移動が持つ意味をあらためて考え直すことになった。

基本的に「移動」とは、多くの場合は目的達成のための手段。現在A地点に居るとして、誰かに会う、仕事に行く、モノを買うなど、目的地となるB地点に行くための手段こそが「移動」。
しかし、今回、リモートコミュニケーション、通販やデリバリーなど、多くの代替手段の活用が進むことで、不必要な移動の減少が起こった。

今回のコロナ禍で加速した合理的な行動様式は、今後も根付いていくことと思う。すなわち、「この外出は本当に必要な外出か?」と自問自答し、その移動自体の必要性を常に見極めるような生活スタイルになるのだ。

今まで当たり前だった「仕事に行く」「学校に行く」といった日々の外出すら、そもそも必要なんだっけ?と問われている。

そもそもコロナ以前から今の時代の人々は、「オンライン」という生活基盤の前提の上で暮らしている。

ECはもとより、うちの息子はほぼ毎日、友人とプレステのオンラインゲームで友人と遊んでいるし、かくいう自分も友人とのコミュニケーションはSNS経由が大半。

この傾向がさらに強まった、ということだろう。

子供たちは今、公園ではなく「どうぶつの森」に集まっているし、ゲーム自体がヴァーチャル世界のプラットフォームにもなっている。
-「フォートナイト」のようなオンラインゲームは、現代の”サードプレイス”になる-  WIREDより

人間の移動機会・移動距離は大きな傾向としては減少していくのかもしれない。これまでの人類の進化になかったかもしれない傾向が、今まさに生まれてきている。