すべてのメディアは人間の機能および感覚を拡張したものである。(マーシャル・マクルーハン)
それになぞらえるように、著者は、テクノロジーも人間の機能と感覚の拡張だと捉え、すなわち都市とは、人間拡張の最大形態であると定義づけた。
その上で、都市の進化の変遷を、都市を誰が支配したかという観点で、神→王→商人→法人(イマココ)→個人(5.0)と整理した。
ようやく個人が都市を支配する時代がくるよ、と。
そのために、これまでも都市の進化を引っ張ってきたテクノロジーの力を借りて、人間中心の都市設計を実現しましょうよ、と。
それが著書で書かれている「UDX」(アーバントランスフォーメーション)であり、最近よく聞く「スマートシティ」だ。
ここからは自分の感想メモ。
思うに、現代は4.0から5.0の移行途中だった。1.0→4.0が拡張のベクトルだとすると、4.0→5.0は回帰のベクトルだ。
その回帰のベクトルが、2020年、一瞬にして急加速した。
これまで、人は目的に応じてあらゆる場所へ移動し、そして人が集まり、知恵を共有し、知恵を結集して進化してきた。人は集まったほうが効率的であった。
そんな人類の歴史がコロナで大きく変化。集まって働く、集まって住む、というベクトルから、リモートワーク・リゾートワーク・デュアルライフ・職住分離など、個々人の働き方や住み方が多様化しはじめた。
実はテクノロジーによって物理的な制約など最初から無いということに気づかされたのと、多少の制約(非合理)があったとしても、効率性や合理性ではない別の価値観のほうを重視するようになったためだ。
個々人の視点ではなく、都市の視点で見ると、この地方分散の動きは、より一層非効率性に拍車がかかる。ただでさえ地方財政が立ち行かず、公共サービスの低下が見込まれる中、「中途半端に」人口分散すれば、財政難の自治体に受益者が増えるのは一層のコスト増だ。効率性だけを考えるならば、本来的には、日本は都市一極集中にしてしまったほうが最も効率が良い。
この非効率に向かう動きはチャンスだと思う。
日本人は生まれた土地に愛着を持つ人種だし、文化的側面からも地方が死んでしまうのは誰も望まない。何より人間は自然に囲まれて暮らすほうが幸せだ。
それらの気持ちに理由はない。つまり合理性はないし、非効率だ。
非効率をいかに楽しみ、一部効率性を追求したい面においては「みんなで」支え合うか、そんな都市づくりのほうが健全なと思う。
この著書の中盤に書かれているUDX化のテクノロジー事例は、なんか読んでいてワクワクしなかった。それらのテクノロジーのベクトルが効率性に向いているからだ。すでに十分効率的な都市のありように対して、より一層効率的を追求している。それらの取り組みの向かう先がよく分からないからだ。
※以下、トピックメモ
■2040年問題
・人口の1/3が65歳以上となり
・生産年齢人口が6,000万人を下回り
・都市インフラの更新時期(特に上下水道の老朽化)
■ソーシャルインパクトボンド
・行政サービスを民間に任せ、KPI達成で報酬提供(結果、行政コストを下げる仕組み)
■善意が都市を形作るトークンエコノミー
これまで行政任せだった「みんなごと」をシェアしあう仕組み構想