今年47にもなったオッサンが、明日が楽しみ過ぎてわくわくして眠れないなんてことがあるだろうか。
いや、ないと思う。すぐに寝た。
さて、熟睡して迎えた朝にどこへ向かったかというと、ここ数年僕がハマっているロゲイニングというスポーツの大会だ。
ロゲイニングとは、地図上に示された数十か所のポイントを定められた時間内に(たいてい4~5時間程度の場合が多い)どれだけ回ることができるかで得点を競う、大自然を舞台にしたスポーツ。
野山を駆け巡るトレイルランと、地図上のポイントを巡るオリエンテーリングを混ぜ合わせたようなスポーツだ。自分にとっては、スポーツというよりも宝探しゲームのような遊びだと思っている。
その日、僕が向かったのは長野県のとある町。東西を山に囲まれ、南北に走る旧中山道沿いに宿場町のある、歴史と自然が豊かなところだ。
一緒に参加する友人と二人で、名古屋から車を3時間ほど走らせてその町へと向かった。思ったよりも早く到着したので、町の中を車でぐるぐる走り、下見をした。「あの山を登るとしたら、南側から登るか、北側から登るか」などと想像することも楽しみのひとつだ。
下見は、実は、当日よりも前から始まっている。
前回大会の地図はネットで検索すれば、必ず誰かがブログ等でアップしてくれており、入手できることが多い。
もちろんコースは毎回異なるものの、大会が行われるエリアがどの程度の範囲なのかをおおまかに掴むことができるから、コースを予測したり、地形を把握してルート決めのシミュレーションをしておくのだ。
スタート時刻である9:00の10分前になると、一斉に地図が配られる。ここからスタートまでの10分間がルートを決める作戦タイムだ。
自分の走力と相談しながら、どこのポイントまで行けるか、出来るだけ一筆書きで効率よくポイントを回るにはどのようなコース取りが良いか、などを考えるのだ。
たいていの場合、一番得点の高いポイントは、スタート地点から距離が遠くて標高が高い場所に設定されることが多いので、そのポイントを目指すことを第一に考えるが、欲張りすぎて時間内にゴールに戻ることが出来ずに減点になってしまうことは避けたい。
そんなことをいろいろ考えるこの作戦タイムは猛烈に頭に汗をかく時間だが、はっきり言ってこの10分間が一番楽しい。
いよいよスタート。他のマラソン大会などと違い、スタートと同時に参加者が四方八方に散らばるのが面白い。
人それぞれが違うルートを辿るためだ。それに、ガチで優勝を狙う人や最初からのんびりハイキング気分で歩く人もいて、自分の思い思いのペースで楽しめるのもロゲイニングの魅力だと思う。
レースが始まってからは、ポイントとポイントの間をいかに最短距離で効率よく回れるかを考えながら走る。
地図と周囲の風景を見比べて現在地を確認しながら進むのも大切だし、制限時間内にゴールできるよう、当初考えていたルートを諦めたり、別ルートを探す判断をしたりと、頭を使い続けるのだ。
そして、レース後は、一緒に参加した友人と打ち上げだ。ただ呑むだけではない。
右手にビール、左手にスマホを握り、レースの振り返りをするのだ。
たいていの場合、打ち上げをする頃には、参加者の順位に加え全参加者が辿ったコースがネットで公開されているのだ。だから、優勝チームはどういうコースを辿ったのだろう? 途中ですれ違ったあのチームはあの時どこに向かっていたのだろう? と振り返ることができる。
これでビール三杯いける。
このような感じで、僕にとってのロゲイニングの魅力は、だた野山を駆け回ることだけではなく、レース前、レース中、レース後と、頭の中でいろいろと想像することにある。これほど味わい深い楽しみはない。
自分にとってロゲイニングは、お子様ランチのようなものだ。
野山を駆け回ること、地図を見ること、山の風景を楽しむこと、旅行の計画を立てること……、今振り返れば、子供の頃に好きだったものが全部詰め込まれているのがロゲイニングなのだ。
ただ、ロゲイニングを始めるきっかけは、「子供の頃から自分が好きなことだから」と認識して始めたわけではない。最初から懐かしのお子様ランチを注文したわけではないのだ。
僕が体力を維持せねばとランニングを始めたのが12年前。
34歳の時だ。昔からアウトドアや体を動かすことは好きだったが、何かをコツコツと継続することは苦手だったので、苦手克服のためにも始めたのがランニングだった。
フルマラソンにも挑戦し、次第にランニングが日常になってくると、家の周辺をただ走ることに飽き始め、トレイルランを始めた。街中を走るのと違い、刻々と変わる風景、そして何より大自然を走る気持ちよさは格別だ。
そしてトレイルランの大会にも出るようになると、今度は決められた一本道のルートを走ることに飽きてきて、そしてようやくロゲイニングにたどり着いたのだ。
つまり、最初から「好きなこと」と認識することなく、ただ自分のその時々の興味に身を任せてたどり着いた場所が、結局自分が昔から「好きなこと」だったのだ。
子供の頃に夢中になったことは、おそらく体や頭の奥に根付いているんだと思うし、この感覚は大事にすべきだと思う。
47歳にもなると、さすがに自分の得意不得意は理解しているものの、まだ見ぬ自分の可能性がまだどこかに眠っているのではないか? などと欲張りに考えることもある。
そんな時、「自分にとってのお子様ランチは、他にまだ何かあったかな?」そう考えることで、趣味の世界だけでなく、ひょっとしたら仕事においてもいまだ眠っている自分の得意なこと、夢中になれることを探し出せるかもしれない。
明日が楽しみ過ぎて寝れなくなるような、そんな毎日が続くなら、幸せ過ぎる。