「あ、あかん、これは苦手なやつや」
いい歳したオッサンになっても今だに人見知りで、初対面の人と気軽に楽しく会話なんぞ、できるわけがない。金輪際、人の会話を聴くだけだな。いわゆるロム専決定である。
何のことかと言うと、1月の終わり頃に突如、日本に現れた「club house」を使ってみての感想である。
それはもう、えげつないほど、コミュ力と社会的ヒエラルキーが顕在化してしまうSNSだ。
「招待枠ありますけど、欲しいですか―?」
いつも新しい情報を仕入れてくる後輩から、朝一番にメッセが届いたのが1月27日。
すぐさま、僕は、「とりあえず、ちょうだい」と返信。
その前の日から、急にFacebookの投稿でちらほら目にしていた「club house」という文字。流行に乗っかるのは好きではないが、とりあえず新しいものには手を出したい性格の僕は、まずは試してみることにしたのだ。
日本の電話番号対応が開始されたことがきっかけで先週からユーザーが急増したようだ。一人につき招待は2名までという限定感もあって、情報に敏感な人から順に使い始めた感じだ。今では周囲の多くの友人がとりあえずアカウントを作って、フォローしあっている。
使い方はカンタンだ。誰もが「ルーム」という部屋をすぐに作れて、そこに入ってきた人と会話ができる。誰でもすぐにその部屋に入ることが出来るし、会話せずに聴くだけ、という入り方もできるのだ。
僕も、さっそく始めてみた。まずは知った名前の方が入っているルームを探して気楽に入ってみた。ビジネス界でそれなりの立場の方々が雑談をしているようだ。まずは、その部屋で話を聴くだけ聴いてみよう。頑張れば手を挙げて会話に入れてもらうことも出来るのだろうが、僕には、そんな勇気もやる気もまったくない。
「あ、これは、あれだな、立食パーティーだな」
しかも自分が一番苦手な、知らない人ばかりの立食パーティー。
楽しげに話している輪の中に自ら入ることは出来ず、ビュッフェの食事をただ食べるだけで、近くで聞き耳を立てているだけの自分の姿が容易に想像できた。泣
会話の中心となる主役がいて、その主役と距離を縮めたい野心ある脇役がマウントをとりあい、その周囲には会話に入れない人々がいて、その様子を遠くから見ている一般市民がいる、そんな様相である。
社会的ヒエラルキーの縮図を見た、なかなか居心地の悪い部屋であった。
しかし、他の部屋を渡り歩く中で、僕にとってのClub houseは、徐々にポジティブな印象へと変化していったのだ。
その日の夜は、ビジネス界の著名人はもちろん、芸能界からも多くの名の知れた方々が雑談を繰り広げていた。その部屋には報道ステーションの本番を終えたばかりのアナウンサーが入ってきたり、政治家が入ってきたりと、当然台本のないリアルで肩肘の張らない会話は、聴いていてとても新鮮だった。zoom呑みとも全く違う。ビジュアルが無い分、ほどよい親近感が心地よかった。
深夜には著名な女性タレントが、酔っ払って若干下ネタを挟みながら、参加者を喜ばせていた。懐かしい深夜ラジオのような雰囲気を感じた。
この週末も、僕は出来るだけ多くのチャンネルに入り、様々な人の会話を聴いてみた。試しに、友人4、5人で1時間ほど雑談をしてみた。実際に喋ってみると、やっぱり楽しいものだった。
最初は僕の苦手な立食パーティーの印象だったが、ある意味で、立食パーティーならではの良さがあることも分かってきた。
それは、会話の出入りが自由だという点だ。まずは会話の輪に入ってみて、満足したらその場を離れる、あるいはその話題に詳しい友達が居るなら誘ってみる、といったフレキシブルな場づくりができるのだ。
Club houseを、スナックに喩える人もいたし、ラジオに喩える人もいた。文字どおり、高校時代の部室に喩えることもできるだろう。どれも正解だと思う。
しかし、僕には良い意味でも苦手な意味でも、「立食パーティー」がしっくりくる。
そう、このSNSは、新しいかもしれない。
最後に、新しいSNSの普及という観点で、ひとつ感じたことがある。
それは、時代背景との関係性だ。
10年前、Twitterが世の中に一気に広がった背景には、東日本大震災があった。震災当日は緊急の連絡手段そのものだったし、その後も必要物資を迅速に正確に伝達するメディアの役割を果たしたし、復興に向けた建設的な意見を議論する場でもあったように思う。津波の映像をただループ放映するだけのテレビ報道とは大違いだった。期せずして、Twitterは社会に大きな役割を担ってくれたのだ。
そしてその10年後、世の中はコロナ禍が続いている。
人と同じ空間でゆっくり過ごす時間が減り、特に新しい出会いの機会が極端に減ってしまった今、突如現れたclub houseは、人と人をスムーズに結びつける新たなSNSとして、日本でも定着していく可能性を強く感じた。