コロナの影響で大学生が卒業旅行に行けないまま寂しく学生生活が終わる、というニュースを目にした。
ふと、自分は大学卒業間近にインドを旅したなあ、と思い出した。
幸せな時代であった。
とはいえ帰国してからは、「もう二度とインドには行かない!」 と誓っていた。
あれから25年。気軽に海外に行けないこの時期だからこそ、いつか落ち着いたらまたインドに行きたいという気持ちが沸々と湧いてきてしまった。
ということで、インドの話。
「テルアライ!」 「テルアライ!」
これは、25年前のインドで、僕がインド人に嘘をつかれた時に、ひたすら叫んでいた言葉だ。
当時の僕は「嘘をつけ!(嘘をつくな!)」という意味で叫んでいたのだと思うが、「Tell a lie!」は命令形なので「嘘をつけ!」となり、文字にすると合っているが、意味としては真逆である。「嘘をつきなさい!」と叫んでいたことになる。
そんなことは、今さらどうでも良い。
(いま調べたら、そもそもTell a lieは命令形ですらなかった……)
とにかく、ご存知の通り、インド人は平気な顔をして嘘をつくのだ。
だからインドを旅した2週間は、ただただ苦痛の日々であったのだが、旅の始まりだけはは素敵な景色で始まった。
飛行機が真夜中のニューデリー空港に降り立つ直前、窓から見えた景色は今でも脳裏に焼き付いている。真っ暗闇の空の下、小さな燈色の住宅の灯りが大地にびっしりと張り付くように、どこまでも続いていた。一番、胸がワクワクしていた時間だ。
そして空港に降り立ち、「地球の歩き方」に従ってタクシーに乗ってから、その「ワクワク」気分は、徐々に、もう「コリゴリ」な気分に変わっていくのだった。
目的地のAホテルの名前を告げ、タクシードライバーに任せていたが、連れて行かれたのは僕が泊まれるような場所ではない、高級ホテル。
「ここがAホテルだ」と告げるドライバー。
明らかに違う。看板に書かれたホテル名がどう考えても違う。「テルアライ!」
ドライバーは、やれやれ、バレたか、といった表情で再度車を発進させた。
しばらく走っていると、突然ドライバーは車を止め、振り返って後部座席の僕を見てこういった。
「ところで、Aホテルはどこだ?」
「マジか?お前は今までどこに行くつもりで走っていたのだ」
もういい。ここで降りる、とドライバーに告げた。
「●●●ルピーだ」法外な金額を言ってくる。
「テルアライ!」 一晩にして、さっそくもう2回目のテルアライだった。
結局、そこでいくら払ったのか覚えていないが、真夜中のニューデリーの街をさまよい歩いたことだけは覚えている。
その後、印象的だったテルアライは、その数日後、ニューデリーからガンジス川のほとりの街、ベナレスに向かう夜行列車に乗った時だった。
何とかして、三段寝台車の座席を予約したのだが、予想通り、列車に乗った時には僕の席は得体のしれないインド人が居座っていた。
「ここは僕の席だ」
「いや、知らない。オレの場所だ」
「テルアライ!」
どうしようもない。なぜかその時は周囲のインド人が全員、その得体のしれないインド人の味方になり、僕はなぜか周囲の全員から罵声を浴びる状態になった。もう訳が分からない。
片田舎の大学生だった僕にとって、インドは刺激が強すぎた。これまで生きてきた理路整然とした秩序がまったく成立しておらず、とても混乱した。
その後、超満員の夜行列車の中で、どういう座席でどういう体勢で一晩を過ごしたか記憶にないが、とにかく苦痛であったことだけは覚えている。
そして、夜が明けると、列車は大きな駅に着いた。
ベナレスの到着予定時間よりも、まだかなり早い。しかし、多くの人が列車を下りる準備をしているので、僕は心配になって周りの人に聞いてみた。
「ここはベナレスか?」
「いや、違うよ」
聞いてはみたものの、さすがにもう誰の言うことも信用できない。しかし、駅名を示す看板も見当たらず、当然アナウンスもなく、僕は不安になった。
ベナレスはヒンズー教の聖地である。多くのインド人が人生を終える場所として訪れる街だ。列車を下りる人の姿を見て、僕は、ここがベナレスである予感がした。
そして、僕は思い切って列車を下りてみた。
駅舎を通り過ぎ、街に出る。そこは明らかにベナレスの雑踏だった。
「テルアラーーイ!」
叫ぶ相手もおらず、僕は半分呆れ笑いながら空に向かって、そう叫んでいた。
その後も、僕のテルアライ珍道中は続いた。
いよいよインドの街の雑踏に疲れ果て、食べるものも美味しくなく、お腹も壊して迎えた最終日2日前、僕はインドから逃げるように、文明を求めてニューデリー空港に向かった。そして丸2日間、何をするでもなく空港で過ごしたのを覚えている。
そう、僕は完全にインドに負けた。
でも、25年の時を経て、インドがまた僕を呼んでいるみたいだ。