「僕ね、となりのトトロを、まだ一度も観たことがないんですよ」
このセリフは、2年前のM-1グランプリ決勝でのかまいたちの漫才ネタ。このネタは、世の中の多くの人はトトロを観たことがあると思うが、自分はまだ観たことがないのが自慢だ、というストーリーだった。
このネタに、僕はいたく共感した。
何を隠そう、自分もまだ「となりのトトロ」を観たことがないのだ。それどころか、もっというと、僕はジブリ作品をまだ1作品も最後まで観終わったことがない。
かまいたちに言わせれば、これは相当な自慢になるはずだ。
でも僕にとっては、これは、自慢でもなんでもなく、ちょっとしたコンプレックスである。
僕とジブリ作品と切ない関係が始まったのは、たしか高校生くらいの時。名作「天空の城ラピュタ」が初めてテレビで放映された日だったと思う。僕はラピュタを観るのを楽しみにしていた。前半は面白いと思ってみていたのだが、後半、天空の城に到達するあたりで寝落ちしてしまったのだ。この時は寝落ちを悔しがったことを覚えている。
その数年後か、2度目のチャンスが訪れた。再度のラピュタのテレビ放映である。しかし、その時もまさかの後半に寝落ちである。ラピュタといえば、本当に名作である。宮崎駿さん、すいません。
それからというもの、となりのトトロ、火垂るの墓などに接することなく通りすぎ、大人になってから、ジプリ作品との3回目の出会いとなった「千と千尋の神隠し」は映画館にまで観に行ったものの、これまた後半の千尋が列車に乗っていくシーンあたりで、まさかの寝落ちである。決して作品が悪いわけではありません。悪いのは自分です。本当にすいません。
それ以来、僕は、ジブリ作品に申し訳なくて、距離を置いている。
実を言うと、僕にはさらにもっと大きなコンプレックスがある。
ジブリ作品に限らず、僕はアニメ全般や漫画を集中して見続けることが出来ない体質なのだ。
思い返せば、僕の小学生時代は、北斗の拳、キャプテン翼、ドラゴンボール全盛期である。当時の小学生が当たり前のように接してきたこれらの名作漫画を、実は僕はまったく読んでいない。読みたくないわけではない。集中して読み続けられなかったのだ。
かといって別に、漫画を読まずに勉強ばかりしていたガリ勉タイプだったわけでもなく、上に姉が2人いたこともあり、どちらかというと歌番組などのテレビばかり観ていた。その影響で、僕は山口百恵やキャンディーズなど、一世代上の人気歌手の唄を結構知っている。どうでも良い自慢である。
そんな環境で育った影響もあり、漫画と接することなく大人になり、僕のコンプレックスはさらに大きくなった。
小説や普通の映画には、人並み以上に接してきたかもしれない。
しかし、アニメや漫画に接することなく大人になった自分が、遊び心や感情の薄い、どこか無機質な人間に思えてきたのだ。
周りの友人には、自分の体の半分はスラムダンクで出来ている、という奴がいる。ワンピースを読んで人生が変わった、という後輩もいる。
自分も、一度はそんなセリフを言ってみたい。
そう思い、実は数年前から意を決し、名作漫画にチャレンジするようになった。
まずはスラムダンク。確かに面白かった。しかし5巻まで到達して、無念のリタイア。
そしてワンピース。全巻揃う中華料理屋があって、何度か通ったがこれまた5巻くらいで断念。漫画独特の絵とセリフの位置関係は、誰のセリフなのか分からなくなって頭に入ってこないのだ。本当にごめんなさい。
続いて、進撃の巨人。これは行けると思い、全巻揃っている近所のスーパー銭湯に通ったが、5巻くらいで断念である。歳のせいかもしれない。
その後も、キングダム、左利きのエレン、など、流行りに乗っかりたい性格なので話題作にチャレンジしてきたものの、一度も読破することが出来ずに今に至っている。
チャレンジしてあらためて分かったことは、漫画独特のセリフが連続する展開が、どうも苦手ということだ。逆に小説は、読みながら自分の頭の中に勝手に情景を思い浮かべることが出来るから、そのほうが自分に合っている。その違いが大きい。
人生最大のコンプレックスに向き合ったことで、ようやく諦めがついた。
アニメや漫画は、日本が世界に誇る偉大な文化。
しかし、本当に悔しいことに、やっぱり自分には漫画を読み進めることができない。自分の脳の構造に相性が合わないだけだ。ただそれだけのことなのだ、きっと。
世の中の数千万人の漫画好きの皆さん、ごめんなさい。